読書レビュー:『百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術』(近藤康太郎)

読書

読みたいと思ったきっかけ

本書の前作にあたる『三行で撃つ』が抜群に面白かったので、本書も購入。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術 [ 近藤康太郎 ]
価格:1,760円(税込、送料無料) (2023/5/5時点)


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

はじめに 本は百冊あればいい
第1章 終わりなき論争(速読の技術/遅読の作法)
第2章 本という投資(本を買う/本を借りる)
第3章 読まないくせにというけれど(理想の積ん読/狂気の積ん読)
第4章 わたしは読めているのか(「分かる」読書/「分からない」読書)
第5章 「論破力」より、深く掘る(批判して読む/憑依されて読む)
第6章 読む本を選ぶということ(わたしが選ぶ/先人が選ぶ)
第7章 読書の愉楽(孤独の読書/みんなの読書)
第8章 何のために本を読むのか(あわいの娯楽/挑むべき修行)
第9章 百冊で耕す(読むことは愛されること/読むことは愛するということ)
第10章 美しい日本語世界のわたし(母語でじゅうぶん/原書にあたってこそ)
第11章 Don’t Think Twice(ズレてる方がいい)
おわりに この世界とつなぐ糸:はじめにリプライズ

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

■要は、読み飛ばす、速読することを邪魔しているのだ。読者、視聴者の時間を奪い合っているのが現代だ。時間が、カネに直結する社会。だから、ふつう言われているように、現代は情報過多なのではない。情報過少だ。速読できないように、社会は設計されつつある。

■名詞でも動詞でも形容詞でも、いわば大事な「概念」は漢字にしてある。そして、日本語の「情緒」は、送り仮名にある。「てにをは」が日本語の骨法だ。わたしたちの祖先は、じつに便利かつ美しいシステムを開発してくれたのだ。

■だからこそ、15分である。仕事でひと息ついたとき。風呂。起きた直後。寝る前。15分のすきま時間ならば、工夫次第で、一日に数回はとれるだろう。どうせ細切れ時間になって集中が途切れてしまうのならば、いっそ違う本に。本のローテーション制、という発想だ。

■本を読むとは、結局、人類を信じるということだ。人間に信をおくということだ。自分の判断力などあてにしない。しかし、わたしたちの先輩は信用する。いままで人間が読み継いできた本は、安心して、ゆっくり、意味が分からずとも、音読する。時間ほど、世の中に信用できる批評家はいない。

■本棚の背表紙というのは、その人の脳を見せているようなものだ。その人の服、美的センスの現れでもある。深みのある本棚を最初に作ってしまえば、その人は、いずれ深い人間になる。美しい本棚の持ち主は、やがて美しい人になる。本棚が人格を作る。

■本を1000冊以上持つのは、経済的にも、心理的にも、苦しいものだ。だから、100冊の本棚を作る。中身を、入れ替え制でどんどん立派なものにしていく。そういうイメージ。

■本は、読むだけではない。本は眺めるものだ。なで回すものだ。わたしは、それに生かされてきた。読んだ場所、読んだ時間、読んだ日差し、読んだ風の匂いを、五感を使って記憶に定着させる。生きるとは、本といた季節の記憶。

■創作家に惚れ込むという経験をしたい。そういう経験があると人生が劇的に豊かになる。その創作家の、すべてが好きになる。馬鹿になってしまう。世界は小利口者であふれている。しかし、読書にのめり込むには、ある時期、馬鹿になる胆力があっていい。いわば、うのみにする技術。憑依されるため、馬鹿になるための、もっとも簡便な方法は、個人全集を読むことだ。

■ある作家や学者、批評家に憑依される。数年経って卒業し、また別の作家に憑依される。それを、二度、三度と繰り返す。そうしてようやく、<自分>になれる。自分らしい、オリジナルな問題意識、考え方の癖、文体、つまり生き方の<スタイル>ができあがる。オリジナルは、憑依から生まれる。

■やはり「忙しい」ということが大きい。加えて、「不安だ」ということもある。重要そうな新刊書籍は山ほどある。忙しい毎日で、なぜリストにあるような古くさい本を読まなければならないか。自分の仕事に役立つのか。さっぱり分からない。不安だ。もっともだと思う。ただ、なんの役に立つのかは、本を読み、リストをつぶしているまさにその当座には分からないという原理がある。そこが肝だとも、同時に思う。

■小利口になってはいけない。むしろ大馬鹿になれ。いまの自分に、なんの役に立つのかと、こしゃくなことは考えない。信じ切る。馬鹿になって、リストにしたがって、単に目を動かす。なにしろ、相手は信じ切っていい大巨人ばかり。知的山脈だ。

■恋人も友人も、家族もいない。話せる人がいない。そういう人もいるかもしれない。かつて、学生時代の自分がそうだった。それでも、いいじゃないですか。感想を書く。一行でいい。本の扉に書いておく。未来の自分に、書いている。本を読むのは、いつか幸せになるため。これが幸せでないなら、いったいなんだっていうんだ?

■逆に考えれば、①ふだんから見なれている文章②聞いたことがあり理解もしている論理、のふたつが増えてくれば、読むスピードは格段に上がる。かんたんに読めるのは結局、「もう知っている」からだ。

■いまは「100分de名著」だとか、「マンガで読む○○」といった解説本が出ていてなかなか便利である。解説本や漫画で準備運動をすることは、恥ずかしいことではない。ただし、参考書を読んで満足してはならず、その後、必ず本編を読む。

■世には速読術に関する書籍があふれ、講座も花盛りだ。これはなにを意味するかというと、情報処理能力を競っているのだ。どれだけ短時間に大量の文章を読むか。演算のスピードを競う。人間が、機械に成り下がっている。そんな時代に「ゆっくり読む」というのは最高のぜいたくであるし、なによりだれもしていないことだ。だれもしていないとは、つまり、<価値を生む>ということでもある。

■言葉を、口に出さない。文章にしない。外部に出さない。私的感情として、自分の内部にとどめる。表出しない。それは、<考えない>ことと同義だ。

■たとえ稚拙な感想でもいい。当時、なにを考え、なにに悩み、その本をどう読んだか。その痕跡があってほしかった。読書とは、痕跡だ。「きれいに読んで、あとで売ろう」などとせこい考えを持ってはいけない。読書とは、浪費のことだ。役に立たない人生の濫費が読書だ。そしてほんとうの宝は、濫費の末にしか手に入れられないことを、これは大人になって知った。

■ことのついでに書いておくと、いまの時代、情報にはさほど価値はない。情報はいくらでも、ただで入ってくる。むしろ、情報の入力をいかに規制し、整理していくかが重要だ。意識的に情報を遮断しなければ、無尽蔵に入ってくる。無尽蔵に入ってくるということは、ほんとうに必要としている情報が埋もれてしまうということだ。

コメント

今回もまた圧倒的に面白かった。

内容がどうこうというより、単純にどんどん読ませられる、読みたくなる文章。

”「朝日新聞」名文記者”の異名のとおりで、文章が抜群に上手いように感じる。さっと読んでいるだけでは気付かないような仕掛けがたくさん埋め込まれているようにも思う。

肝心な内容としては、いわゆる読書指南本といえる。

各テーマごとに2項対立として対照的な立場からそのテーマを見ていくというスタイルになっており、本の買い方、選び方、読み方、読むときの環境、続けるコツ、読むことの意義などが味わい深い文章とともに展開される。

本書の題名にも入っている百冊。

本は百冊あればよくて、その百冊は流動的なもので、常にアップデートしながら百冊を構築していくというもの。

どんどん本が増えていっている自分としては、百冊だけ選ぶとしたらどうするか、というのは自分の断捨離的な意味でも参考になる考えだ。

部屋のスペースなどを考えると百冊だけ持つのが良いように思うが、本はなかなか捨てられない・・・。

個人的には「小利口になってはいけない。むしろ大馬鹿になれ」というフレーズが気に入った。

利口であれば突き抜けているから良いのだろうが、小利口ぐらいで立ち回るのであれば、むしろ大馬鹿に(これも馬鹿では駄目で)なった方がいい。

不安であることが誰であっても付きまとう時代だからこそ(どの時代もそうだったかもしれないが)、その不安を意識的にせよ無意識的にせよ感じないほどの大馬鹿に。

突き抜けている人って称賛と大馬鹿の境界にいるように見えることを考えれば納得のいく話でもある。

いずれにしてもこの文章を味わって欲しい。名文記者は伊達ではない。

一言学び

小利口になってはいけない。むしろ大馬鹿になれ。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術 [ 近藤康太郎 ]
価格:1,760円(税込、送料無料) (2023/5/5時点)


コメント

タイトルとURLをコピーしました