読書レビュー:『国際秩序』(細谷雄一)

読書

読みたいと思ったきっかけ

昔に買っていた書籍。

ロシアによるウクライナ侵攻や、中国の台湾への対応など、国際秩序に変動の動きが顕著になってきているタイミングで、国際秩序の歴史を再確認するために読んだ。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

まえがき    
序章 国際秩序を考える
第1章 均衡・協調・共同体ー三つの秩序原理
第2章 近代ヨーロッパの国際秩序
第3章 世界戦争の時代
第4章 未来への展望ーグローバル化時代の国際秩序
あとがき    

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

序章(国際秩序を考える)

・坂本と高坂の論争は、このように勢力均衡の体系という国際秩序をめぐる本質的な認識の違いを示すものであった。坂本が勢力均衡の脆弱性と危険性を指摘し、それを改革することに情熱的であったのに対して、高坂はむしろそれを是認し、そしてそれを平和と安定の条件と考えていた。その違いは、どのような国際秩序が平和をもたらすのかという根源的な認識の違いであったのだ。

・坂本義和と高坂正堯がともに、国際秩序や日本の安全保障政策を考える上でウィーン体制下の勢力均衡を参照したのは偶然ではない。それによって、現代の世界の国際秩序の基本原理が理解できると考えたのだ。ヨーロッパの歴史を繙くことは、無用なことではない。

・本書では、秩序原理を三つの概念を用いて説明する。それは「均衡(バランス)」であり、「協調(コンサート)」であり、「共同体(コミュニティ)」である。そしてそのような理念に基づいて、「均衡の体系」、「協調の体系」、「共同体の体系」がつくられていった。

第1章(均衡・協調・共同体ー三つの秩序原理)

・そのような状況を「勢力均衡(バランス・オブ・パワー)」という概念を用いて最初に明瞭に説明した思想家が、ヒュームであった。したがって、ヒュームを抜きにして、勢力均衡を語ることはできない。

・国際秩序を考える際には、われわれは戦争の論理ばかりでなく、「商業的社交性」の論理にも留意する必要があるのだろう。

・ナポレオン戦争後の国際秩序は、したがって、単に多元主義的な勢力均衡を回復するだけではなく、正統主義という価値の共有を基礎とした秩序でなければいけない。そこに、ウィーン体制における「ヨーロッパ協調(コンサート・オブ・ヨーロッパ)」が確立する理念的な土壌が生まれる。

・カントは世界平和を考えるにあたって、ヒュームが擁護した勢力均衡に対して強い不信感と嫌悪感を隠さなかった。

第2章(近代ヨーロッパの国際秩序)

・十八世紀の「均衡の体系」の時代には、軍事力や戦争を通じて国際秩序が確立されていた。「均衡の体系」において、戦争はときとして秩序を安定させるための必要悪であった。とはいえ、この時代の戦争は、二十世紀に人類が経験する総力戦ではない。理性や節度によって抑制された、主として名高い貴族や傭兵によって戦われるような限定的な戦争であった。

・宗教戦争の荒波に飲み込まれた十七世紀と、ナショナリズムの奔流の時代となる十九世紀に挟まれた十八世紀には、国際関係に理性や節度が適用されやすい時代精神が存在していたといえる。それがこの時代において、勢力均衡が成立しえた背景でもあった。

・フランス革命による共和主義や自由主義という新しいイデオロギーの浸透が、旧来のヨーロッパの一体性を崩していった。

・フランスは敗戦国であるにもかかわらず、大国としての地位が与えられる結果となった。これは、後の第一次世界大戦や第二次世界大戦後の戦後処理との大きな違いであった。ウィーン会議において、フランスに対してはあくまでも限定的に賠償や領土の割譲が求められるのみであった。

・議長であったメッテルニヒは、ナポレオン戦争後にロシアが過剰に膨張することがないように、対抗勢力としてフランスを大国として処遇することを想定していたのである。それは、戦後ヨーロッパにおいて膨張するロシアに対して、勢力均衡を維持するためのリアリズムでもあった。

・「国際的な講和というというものは、たとえそれが強制されたものでなく、受諾されたものであっても、常に、いずれの当事国にとっても、何かしら不条理なものと映るのである。逆説的であるが、当事国がみな少なからず不満をもっているということが、安定の条件なのである。なぜならば、仮に、いずれかの国が完全に満足するとすれば他のすべての国々は、完全に満足しないことになり、その結果、革命的状況をもたらすことになるからである」(ヘンリー・キッシンジャー)

・ウィーン体制は、ナショナリズムに支配されつつある十九世紀の時代精神の産物ではなかった。それは、十八世紀的な理性と自生に基づいた国際秩序であったのだ。したがって、時代の経過とともに、ウィーン体制が新たな朝鮮に直面することは、避けられぬことでもあった。

・キッシンジャーによれば、「カースルレイの死は、ヨーロッパ政局の分水嶺となった」。というのも「イギリスと同名を結びつけていた最後の絆、すなわち、戦時の大連合の記憶はカースルレイの死によって消え去ってしまった」からだ。「そのために、イギリスの政策は、その国民の考え方と同様、極めて島国的な傾向を帯びることとなった」。

・ビスマルクによって「ヨーロッパの統一性」が損なわれたわけではない。すでにそれが損なわれていたからこそ、ビスマルクはそのような政策を選ばざるをえなかったのだ。その背景には、この時代におけるナショナリズムの隆盛があった。

・ビスマルクはかつて、次のように述べていた。「政治は、科学(サイエンス)というよりも技術(アート)である。それは、教えることができるような対象ではない。人はそれについての才能を持っていなければならない。それについての最良の助言も、適切に実行されなければ意味を持たない。政治はそれ自体として、論理的な緻密な科学ではなく、流動的な情勢のなかで、最も害の少ない選択肢、あるいは最も時宜を得た選択肢を選ぶ能力を意味するのだ」。

第3章(世界戦争の時代)

・このように、二十世紀の国際秩序の最大の課題の一つは、アメリカや日本などの非ヨーロッパ諸国、とりわけ日本や中国といった非西洋諸国を加えるかたちで、いかにして「価値の共有」を実現するかであり、さらにはいかに「協調の体系」や「共同体の体系」を発展させるかであった。この難題への解答を見いだすよりも先に、世界は二度の世界大戦へと突進していく。

・もしもウィルソン大統領が期待したような「共同体の体系」による平和をつくるのであれば、一世紀前のウィーン体制下の「均衡による協調」の時代よりも、さらに広範な「価値の共有」が必要となるであろう。というのも、「均衡」が基本的に「力の体系」である一方で、「共同体」とは何よりもまず「価値の体系」であるからだ。

・1931年の満州事変は結果として、意図せぬかたちでロカルノ条約に始まる「新しいヨーロッパ協調」を潰えさせてしまった。これを転機として、世界は「国際共同体」への夢を語る時代から、「権力政治」への回帰の時代へと移っていく。その扉を開いたのが日本の関東軍であって、そのような潮流を完結させたのがナチスのアドルフ・ヒトラーであった。両者とも、既存の国際秩序に大きな不満を抱いた点で共通していた。

第4章(未来への展望ーグローバル化時代の国際秩序)

・キッシンジャーは、ソ連との戦争に勝利することを考えていたのではない。そうではなく、グローバルな勢力均衡を形成することによって、国際秩序の安定性を回復しようとしていたのだ。ニクソンが述べるように、「長期にわたる平和が存在したのは、バランス・オブ・パワーが存在した時代だけ」だとすれば、勢力均衡の本質を理解して、それを維持しなければならない。そのために、米中和解を実現することが不可欠であると考えたのだ。

・帝国が崩壊したあとに、いかにして安定した秩序を形成するかが、国際秩序を考える際の大きな課題であった。歴史を振り返ると、力の均衡が崩れるときに国際秩序に巨大な変動が生じて、平和が崩れることが多い。「力の真空」を、その近隣の大国が埋めようと膨張的な行動をとるからである。二十世紀もまた、帝国の崩壊と国際秩序の不安定化が繰り返し見られてきた。

・1993年のヨーロッパ連合(EU)誕生は、そもそも、ドイツ統一がその大きな動機となっていた。強固な統合ヨーロッパがなければ、周辺国はドイツ統一を受け入れることは困難であったからだ。ドイツ統一をめぐり周辺国の安心を得るための代償として、西ドイツ政府は不本意ながらもドイツ通貨マルクを放棄することに合意した。

・もはや、民主主義の対抗勢力であるファシズムの脅威も、コミュニズムの脅威も、歴史の深い闇のなかへと消えていった。いよいよ世界は、「民主主義と市場経済」という普遍的価値を共有する、グローバルなコミュニティを構築する段階へと到達したのだ。そのような希望が、レイク補佐官、そしてクリントン大統領の外交理念には色濃く見られた。

・国際社会が「自助原理」を前提としており、他者の問題に一定程度以上の財政負担を追うことを避けようとする国家が集まっているかぎり、どれだけソリダリズムの「政治的レトリック」を繰り返しても実践には困難が伴う。それを理解しなければ、かつてウッドロー・ウィルソンが失望したように、理想と現実の乖離に苦しむことになる。だとすれば、われわれは国際社会が多元的であることを前提に、国際秩序を考えるべきであろう。その思考が、メイヨールのいうプルラリズムである。

・ニクソンはかつて、「世界史の中で長期にわたる平和が存在したのは、バランス・オブ・パワーが存在した時代だけである」と語った。本書のなかで国際秩序の歴史を概観するかぎり、そのような認識が基本的に間違いでないことがわかる。確かに勢力均衡のみでは平和を永続させることはできない。しかしながら、平和を永続させるための「協調の体系」や「共同体の体系」を確立するためには、「均衡の体系」を否定するのではなくむしろそれを基礎に置くことが重要となる。

・重要なのは、日本が十分な国力を備えて、日米同盟を安定的に強化して、アメリカが東アジアへの関与を継続できる環境を整えて、その上でこの地域において価値や利益を共有することである。価値を共有することで安定的な「均衡の体系」を構築し、その基礎の上に日中での協力関係を発展させ、この地域の平和を確立することが必要となる。

コメント

ロシアによるウクライナ侵攻からもう7ヵ月以上が経過している。

この事件が起きてから、ロシア史やウクライナ史に関する書籍も売れているようであり、そういった歴史的背景を知ることも、今回の侵攻をより理解するために必要だろう。

一方で、こうした戦争や紛争が生じるのは、そのときの世界情勢、すなわち各国間の外交関係や経済規模などによっても大きな影響を受ける。

そういった各国間の調整がどのように行われ、どういった秩序が成立するのかについての歴史的背景を知ることもまた今回の事件をより深く理解するために必要だと感じ、本書『国際秩序』を繙いた。

いわゆるバランス・オブ・パワーという視点の歴史的な経緯が中心になりながら、そのなかで協調の体系や共同体の体系がどのように発展してきたかを丁寧に追っていける。

本書のなかの「力の均衡が崩れるときに国際秩序に巨大な変動が生じて、平和が崩れることが多い」という指摘は、まさしくアメリカのパワーが相対的に落ちてきていることで現代の世界的な情勢不安が生じていることを説明する。中国やインドなどが台頭によって世界的なパワーバランスが崩れてきているともいえる。

「自由で開かれたインド太平洋」(Free and Open Indo-Pacific:FOIP)というキャッチコピーを日本外交が提唱しているのことは、東アジアからアフリカまでを含むインド太平洋という地域に「力の真空」が生じないようにし、バランス・オブ・パワーを維持することを意図しているものなのかもしれない。

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ウクライナ侵攻の問題で考えれば、今後はウクライナの周りである欧州、ロシア、トルコ、イラン、サウジアラビアなど、東ヨーロッパと中東周りにおいてどうやって均衡の体系を維持するかも今後は重要になってくるはず。

バランス・オブ・パワーという体系の歴史的な経緯を見ることで、現在生じている問題を理解する補助線を得ることができる。

2012年発刊で10年ほど前の書籍であるが、今読んでも(むしろ今読むこそ)得られるものが多いはず。

一言学び


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