新聞を購読していないし、売店で買うこともしないので、普段は新聞を読んでいない。
社会人1年目のときは、それこそベタに日経新聞を毎朝駅で購入しては電車のなかで読んでいたが、それも結局半年くらいでその習慣もなくなった。
それ以来、継続的に新聞を読むこともなくなった。
大学生までは実家で新聞を購読していたこともあって、ほぼ毎日新聞には目を通していた。
新聞を読むようになったのは中学生くらいだったと思う。
世の中のニュースを知る術として、まだまだインターネットがそこまで主流でもなかったこともあって、新聞を読むことで世界情勢を知ることができるのが嬉しかった覚えがある。
今となってはインターネットを通じてニュースサイトがいくらでも見られるので、こういった動機で新聞を読む人はいないのかもしれない。
私は特別勉強もスポーツもできるわけでもなかったので、自分の生存戦略として政治や経済といったニュースに通暁していることを目指した結果に、新聞を読むようになったといえる。
ニュースに通暁しているといっても、ただただ書いてある記事のキーワードを拾って、あたかも知っているかのように振る舞うだけであったが、周りも中学生ということで化けの皮が剥がれずに済んだ。
そんな不純な動機から新聞を読むようになり、高校生になってからも毎日ではなかった気がするが、断続的には目を通していたように思う。
その後は浪人中はほぼ毎日読んでいたし、大学生になってからは上述のとおり毎日新聞を読む習慣ができていた。
それが社会人になってからは読まなくなって久しい。
最大の理由は家に新聞が届かないという点にある。
当たり前のことであるが新聞の購読契約しなければ家に新聞が届くことはない。
それなら契約すればいいだけの話だが、契約してまで新聞を読みたいかというとそうでもないのが正直なところ。
もちろん新聞を読むことは好きなのだが、それが毎日届くとなると妙にプレッシャーを感じてしまう。
「今日も読まなければ」というプレッシャーが続くのが嫌で、それを避けようと購読をしていない。
あと大きいのは「新聞を読んでいなくても何とかなる」ということだ。
「社会人になったら新聞くらい読んでいないと」「新聞を読むことは社会人の常識」といった話を耳にするが、実際に新聞を6−7年は読んでいないけど、特に困ったことはない。
たまに上司や先輩から「今日の日経新聞の記事見た?」「今日の日経新聞に載ってたけど・・・」といった話が出てくるが、お茶を濁して何とかなっている。(読んでいないことがバレているかもしれないが)
こうやって新聞を読むインセンティブが強く働くわけでもない状況下において、必然的に新聞を読まなくなっていったわけであるが、どこかで引っ掛かっているのも事実ではある。
「読まないといけない」という強迫観念に近い言葉が頭の中にずっとあり、誰に対してかわからない後ろめたさがある。
このタイミングで、新聞への向き合い方を再度考えてもいいのかもしれない。
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