マウント合戦
年を経るにしたがって段々とプライドが高くなる。プライドが高くなるというか頑固になる。
それに関連してかまた自分の誤りを認めたり、負けることができなくなってくる。
仕事でもプライベートでも、些細なマウント合戦になってしまうのはこうした「負けられない」ようになってしまうからだと思う。
お互いが意固地になって主張がぶつかってばかりいては、その関係性は長くは続かないはず。どっちかが形式的にでも勝つことによってその決着はつくが、同時にその関係性も破綻してしまうのが目に見えている。
破綻までいかないまでも、どちらも勝ちたいと思っていたら気持ちの良い関係は続かない。
「負けられる」人間になれば
ここで「負けられる」人間になれば、不要な争いにならず、相手との関係性も良好のまま進む可能性が高い。
自分が上に立ちたいと思っているマウント至上主義の人にとっては相手が「負けてくれる」のだから当然気持ちがいいはず。
またマウント至上主義者でなくとも、相手がマウントを取ってきたら取り返すという人も世間にはいるので(売られた喧嘩は買う派)、そういう人とは無用な争いをせずに済む。
こう考えてみると「負けられる」というのは人生において結構重要なスキルであるように思う。
もちろん、この「負けられる」というのは、自分のなかで負けることを認識し、認めたうえで初めて成り立つので、そう簡単にはできないように思う。
また周囲の人に「あの人は負けてばかりのダメなやつ」と認識されてしまうリスクもある。(本当に「負けられる」人はそんなことも気にしないのだろうが)
自分はまだまだ
かくいう自分は「負けられる」かというとYESでもありNOでもある。
要らない論争になりそうであれば自分が無知であったり、自分のほうが劣っていることを意図的にひけらかして「降りる」選択肢を取ることもある。
しかしながら、そういった言動・行動を取れなかったり、また取れたとしても後悔してしまうケースも少なくない。
そう考えるとまだまだ自分は「負けられる」人間ではない。精進が足りない。
いつか笑って負けたうえで、それを心から肯定できる日が来るだろうか・・・。
コメント