読書レビュー:『<知>の取扱説明書』(仲正昌樹)

読書

読みたいと思ったきっかけ

仲正昌樹氏の名前で検索したところ新刊として出ていたので購入した。

最近、政治哲学の書籍を読みたい欲が湧いてきており、それに関連しているところもある。

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知 の取扱説明書 / 仲正昌樹 【本】
価格:1980円(税込、送料別) (2022/5/6時点)


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

はじめに 妙な”自信”が「痴」を生む
第1章 知とは何か?——フマニタス的思考の特徴
第2章 知と痴——ネット時代の学び
第3章 知を学ぶ場所——「痴」にならないために
第4章 知の技——「プレゼン力」と「コミュ力」以前
第5章 知の本質
   
学ぶ気がある初心者のためのブックガイド

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

第1章(知とは何か?——フマニタス的思考の特徴)

・「教養」は言語に関する能力を鍛えるのが基本ですが、基本ができていないのでしょう。英語を聞き取るのを最初から放棄するような子は、難しい講義だと、すぐにノートを取るのを放棄してしまうでしょう。分からないんだから、ノートを取ろうとしても無駄だと思うのですが、それは逆です。分からないからこそ、できるだけノートに取り、後で、調べたり、質問したりするわけです。できない人間がノートを取るのを諦めて、その時間ぼうーっとしていたら、ますますできなくなる、というより人としてポンコツになります。

・とにかく全体像を掴めるようにする、そのために聞き取りや要約などの手間のかかる基礎訓練を繰り返す。それが言葉を学ぶ際に一番大きなポイントです。最初に全体像を掴めないといけない。それができないと、その次の作業が精神的苦痛になる。全体像が把握できれば、重圧感も減ります。

・「アクティヴ・ナレッジ Active Knowledge」という言い方がありますが、いつでも言える形で文章を覚えておく。そういう貯えがすごく少ない状態が、先ほど例に挙げたような学生でしょうね。

・法学や哲学でも、勉強していくときに大事なことは、「特殊な構文を口にできるようになること」だと言えます。よく見る例文を自分も言える、つまり「使える」ことになる。たとえば、カントが行っていることはかなり難しそうですね。カントの定言命法として知られる「汝の意志の格率が常に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という有名な文章がありますね。これをとりあえずそのまま覚えてしまう。英語の例文を口にするのと同じように、何となく分かったような気になります。

・とにかく勉強ができない人、何でもすぐに諦めてしまう人というのは、そういう経験が乏しいのでしょう。砂で山を築くような感覚しかなくて、途方に暮れてしまいます。しかし、我慢強く、先ほどのような基本的な練習をちゃんと続けていたら、どこかで、ブレークスルーがあります。単純な話ですが、我慢強さが問題です。

・手を動かすかどうかは、勉強できるかどうかを見極めるポイントになります。ダメな人はメモを取れません。

・果たして自分は知っていると自慢したいのか、それとも本当に「知」を使えるようになりたいのか、冷静になってよく考えてみるべきでしょう。とにかく、いろいろと偉そうなことばかり言って、じつは、「学ぶ」という基礎がなっていないということが多いです。

第2章(知と痴——ネット時代の学び)

・自分が専門家でなく詳細について知り得ないときに他人の権威を軽々しく借りてきて、「終わっている」とか「今更なぜそれを言うのか」などと、文脈もなしに言うときは、言っている側が分かっていないことがほとんどですね。

・「多数決は事実を決めるものではない」という基本を確認することが大事です。

・ものを書くときは、ソースへ辿っていけることを、大事にしないといけません。

・ネットで大言壮語しているくせに、説明してみろと言われて、説明できないことを恥じない人間が多いように思います。知識が自分のなかできちんと紐づけられてないことを認識すらできていないから、そういうことを言い出すのです。

第3章(知を学ぶ場所——「痴」にならないために)

・そうなると、残念ながらハラスメントと言われかねないレベルまで否定しないといけなくなります。「院生の基本だ」と言う以前に、英語を中学からやり直せとか、高校の世界史の教科書をちゃんと読め、とか言わないといけない。それを言うと、きつい冗談か、なぜか人格否定と受け止める。事実なのに。自覚のない院生に対して、先生の方も「ふざけるな、お前のせいで私の研究生活は台無しだ、お前を見ると頭痛がする」と言いたくなる。

・人間は横着なので、勉強するつもりでも、そういう名前だけの”道場”の雰囲気に流されがちです。既に大学は卒業したけど勉強し直したい、大学には行っていないし、当面その余裕はないけど勉強したいという人は、ちゃんと、基本がなってないと叱ってくれる先生や先輩を見つけるべきでしょう。かっこうつけてるだけでなくて、本気なら。

・多くの人は、自分は興味がある分野に入っていても、その道で認められる「専門家」になれるのか悩みがあります。本当の天才以外はみんなそうなのです。今まではほとんど何もやっていなかったのに、ちょっとかじっただけで、プロになれるはずありません。

第4章(知の技——「プレゼン力」と「コミュ力」以前)

・学問をする前提として、自分がアクティヴに使えないような知識、習熟する見込みもないようなものに関しては「分かったような」顔をすべきではありません。そういう態度は、厳に慎むべきでしょう。ドイツ語が難しいと言う前に、前にも言いましたが、「君は本当に例文を口に出して五回言ったのか。自分の耳で聞こえるように言ったのか」ということです。やってないのに、なぜ分からない、難しいと言うのか。

・やはり手を使うこととコピーは全然違う、その意味で写経というのは意味があったわけです。

・人間なんでもかんでもやることはできないですから、まず自分はこの知識についてアクティヴに再現することはできないな、と自覚を持つことが最低限必要です。そうしないと、自分で思う以上に「知ったかぶり人間」になってしまいます。

・人文系の学問のバロメータとして重要なのは、やはり「古典」です。

・単に権威付けのために引用している場合もありますが、ちゃんとした引用であるとすれば言及している人が何らかの形で影響を受けて自分の発想の原点にしていると言えるでしょう。はっきりしているのは、『プロ倫』や『資本論』、他にはフロムの『自由からの逃走』、アーレントの『全体主義の起源』、ルソー『社会契約論』、ホッブズ『リヴァイアサン』などは、いま先端的な仕事をしている人も含めていろいろな人にとって基礎になっているので、効率性の観点から見て、自分も基礎として学ぶという判断をすべきだということです。

・最初からすごいものだと想定する必要もないし、すでに終わったものだと思うのも良くないです。思い込みを持たずに、とにかく現在まで強い影響を与えているものだと受け止め、一回読んでみる必要があります。

・古典を読む一番の楽しみは、新書などの要約書を読んで持っていたイメージと全然違う姿をそこに発見することです。

・若い頃を思い返すと、受験生心理の延長のようなところがあって、ずっと前にやったものについて、なかなか勉強のし直しをしようとしていなかった気がします。大学受験まであと一年しかないときに、中学の内容をもう一回という気にはなかなかなれません。ですが、根本的に分かっていないことをそのまま残していると、本番でひどいことになったりするものです。そういう経験のある人は少なくないでしょう。

・とにかく、「読み返す」癖をつけることが大事です。読み返さないと訳が分からなくなるような文学作品、やはり、登場人物が誰だか分からなくなるドストエフスキーのようなものが良いでしょう。

・肝心なのは、自分にとってそんなに興味のなさそうなところでこんがらがってきたときに、すぐに飛ばしてしまうのではなく、できるだけ、自分の頭で考えて理解しようとすることです。多少我慢が必要ということが肝心です。

・映画や小説で、いわゆる「エンタメ」とそうじゃない作品の違いは、ボーッとしていても話が勝手に展開していくので、目が覚めてさえいたら、全然集中する必要がないか、何がしか注意を集中して考えることを求められるか、だと思っています。

・古典を読もうというとき、すぐ出てくるのは、難しい文章を避けたい、という気持ちです。しかし、難しい言葉、文章から入った方が早道だということがあります。

・繰り返しますが、学問的古典、文学作品、映画などは、「あらすじ」を覚えようとすることが重要です。聖書も何度も読むと、どこが第何章にあるか、どのパートにあるかぐらいは言えるようになってきます。私は日本語訳聖書を三回ほど通読したので、聖書の話を聞くと、だいたいの場所の検討はつきます。文学作品も、何度も読んで、あらすじを自分で言えるようになれば、かなりいい知的訓練になっていると思います。…映画も、感動したかどうかより、まずあらすじを言えるようになりましょう。

・「知識」が「使える」というのも、それと同じで、あまり意識しないでスラスラ思い出し、それを変形して作文やスピーチに応用できるようになる、ということです。だから、覚えるということを強調しているわけです。知が、意識しないでも使えるようになるまで、「身体化」しないといけない。

・イングランド銀行のチーフ・エコノミストのアンディ・ハルデーン(1967-)さんは、テレワークによって社会関係資本や暗黙知が減少する可能性を示唆しています。

・高校でやる現代国語の要約問題は結構大事で、それができない人は、基本的に何もできていないです。3000字程度の文章を200字にまとめるようなやつですね。そういう基本ができない人は、ほとんどの文章の読み方が見当外れになるでしょう。新聞に書いてある法律や経済政策についての報道ですら理解できていないでしょう。それができない人間は論争なるものに参加すべきではありません。

・ちゃんと手を動かして書くこと。ノートばかり取っても仕方がないという人もいますが、やはり手を動かすということは重要です。試験で文章題ができない人、作文が苦手な人というおは、普段から手を動かして身体に覚えさせていないので、基本的な文章のパターンが出てこないのだと思います。私なら、慣れているテーマ――例えば、「他者危害原理(ミル)」「格差原理(ロールズ)」「グラマトロジー(デリダ)」など――の説明なら、2000文字くらいなら、何も文献を見なくてもさっと書けてしまいます。学部生なら、500字程度でいいかもしれませんが、とにかく自分が中心的に勉強している科目なら、条件反射的に基本的な用語の説明文を書けるようにしておく。パソコンにデータを集めておくことも大事ですが、手が覚えているような感じで、得意テーマなら、キーワードを二つ、三つ並べると、それに続く文がすらすらと出てくるくらいにしておく。

・使えない知に意味がないという話を初めの方でしましたが、その意識すらないのです。数ヶ月前は分かっていたのに、今は分かっていないということは、語学ではよくあるし、顕著に表れます。人間は横着だから既にやったことを繰り返すのは面倒くさいと思うものです。だから、自分の記憶は大丈夫だと思いこむ。ここでも、ネットが関係します。中学レベルのことを忘れていても、ネットがあるから簡単に復習できるだろうと思ってしまう。それが間違いです。

第5章(知の本質)

・知≒教養の定義とは、まさに「こんなものでは済まない」という感覚をちゃんと持っていることです。「こういうふうに分かりやすくしてもらっているんだろうな」ということを忘れないこと。そういう意識があると、分からなくなったときにもう一度勉強し直してみようと思うことができます。

・私が鋭いな、と思う人は、本や論文を読んで、「どうしてこういうことになるのか不思議だ」、と疑問を持つことが多い人、ベテランになってもその感覚を失わない人だと思います。何かの記述を読んだときに、なぜそうなっているのか気になり始めて、自分で調べたくなり、そうしないと気が済まない。特に文系ではそういう感じがないと、尖った研究はできないと思います。細かくてどうでもいいと思えることについて、本当にこれで合っているのか、疑問を持つことが大事です。

・サンデルの『白熱教室』は、そこをこじあけるのが目的なのです。人間は嫌なことは考えないようにできています。こういうことがもし起こったら、どうするんだ、と普段考えない選択肢を突きつけ、自分がどういう価値観を持っているか、哲学的に明確化することに意義があります。

・哲学や文学など、読むことに主眼を置く学問は直接人生を変えるものではありません。書いている著者と読んでいる自分は違う人間だということを踏まえたうえで、その人の立場ならどう考えるか、想像するために読むのです。生き方を変えるとしたら、その後。学問は、材料を揃える「まで」です。

・生きている人間は信用しない方がいいです。そうではなくて、「この文献は信用できる」というふうに考えましょう。

コメント

内容としては大学生、とりわけ1−2年生に向けた内容の本のように感じるが、実体としては結構な割合の大学生が本書に書かれていることを実践できていないように思う。

個人的に修士課程の学生の実体はわからないのだが、この本に書かれている限り、院生もそこまで高尚な感じで学習し振る舞っているようではないかもしれないというのは意外だった。もちろん個人差があるのだろうけど。

最近は歴史や哲学、政治学などなど学問然とした内容の本を読みたい欲に駆られており、今の自分にピッタリの内容だったように思う。

大学生のときの自分は何冊か古典的な作品、プラトンの『国家』やアリストテレス『ニコマコス倫理学』、マキャベリの『君主論』などを読んだこともあるが、そこまで古典と言われる作品群に取り組むことがなかった。

どちらかというと新書や単行本などで学説の概要を知っては悦に入るようなタイプだった。今思えばそういった学説の概要すら何も学べていなかったのだが・・・。

昔から言われているように(少なくとも私には沿う感じている)、やはり身体的に知識を覚え込んでいく姿勢が重要というのはその通りに感じる。

また書籍のあらすじをある程度言えるようになるというのもやはり、といった印象。

いずれも自分ができていない点という意味では反省しかないのだが。。。

本来であれば大学生に戻ってやり直したいところであるが、そんなことは到底不可能なので、少しずつ知を深められるように勉強を進めていくしかない。

結局、近道や簡単な方法などはなく、王道と言われる方法で学習を進めるしかなく、疑問に思ったことがあったら徹底的に納得いくまで調べるという姿勢こそ身につけるべきものなのだろう。

大学生には是非本書を読んでもらって、大学生活を無題にしないように学問に取り組んで欲しい。もちろん大学生でなくても人文系の学問に興味があり、学びたいという意欲のある人にとっても学習の良い導き書となるはず。

一言学び

知が、意識しないでも使えるようになるまで、「身体化」しないといけない。

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