読みたいと思ったきっかけ
書店に行った際に新刊として陳列されていたので購入した。
山口周氏の著作はなるべく目を通すようにしているので、ほとんど「ジャケ買い」に近い。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
はじめに | : | 問題が希少化している時代に求められること(山口周) |
第1章 | : | なぜビジョンが大切なのか——ビジョンは経営資源 |
第2章 | : | 今、ビジョンに求められること——「意味がある」をどうつくるか |
第3章 | : | ビジョンとは何か——すべてはここから始まる |
第4章 | : | ビジョンを定める、ビジョンを磨く——「WILL」「CAN」「MUST」の重なるところにビジョンがある |
第5章 | : | 日本の工芸を元気にする!——ビジョンを実現するためにどのように行動するか |
第6章 | : | ビジョンとともに働くということ——ビジョンはコンパスであり、自分を守る武器になる |
おわりに | : | (中川淳) |
この本はいわゆる対談本で、中川政七商店の代表取締役会長である中川淳氏と同社の社外取締役も務める山口周氏の対談をまとめたものである。
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
はじめに(問題が希少化している時代に求められること(山口周))
・問題解決を専門とする職業=コンサルティングの世界では、「問題」を「望ましい状態と現在の状態が一致していない状況」と定義します。「望ましい状態」と「現在の状態」に「差分」があること、これを「問題」として確定するということです。したがって、「望ましい状態」が定義できない場合、そもそも問題を明確に定義することもできないということになります。つまり「ありたい姿」を確定的に描くことができない主体には、問題を定義することもできない、ということです。「問題の希少化」という「問題」の本質はここにあります。つまり「問題の不足」という問題は、そもそも、私たち自身が「世界はこうあるべきではないか」あるいは「人間の暮らしはこうあるべきではないか」ということをイメージする構想力の衰えが招いている、ということなのです。
・つまり「困る力」が重要だということです。「正解を出す力」から「困る力」へと価値の源泉がシフトするということです。
・丸山眞男は『日本文化のかくれた形』のなかで、日本人の基本的態度は「きょろきょろすること」だと指摘していますね。いつも、どこか外側に自分のところよりも上位の文化があって、「善いもの」は常に外部からやってくる、という基本的な態度です。日本の思想史を通覧してみても、ユダヤ教やキリスト教社会に見られるような一貫した「コンテンツ」は存在しません。しかし、一貫して存在する「モード」があって、それは「外来のものに無批判に飛びついて、それを呑み込んでゆく」という、文明受容の態度だというのです。
・経営資源として挙げられるヒト・モノ・カネのうち、ヒトにだけあってモノとカネにはない最大の特徴は、その「可変性」です。
・つまり、いつの時代にあっても、その時代の「若者」というのは、常に「その時代に足りないもの」についてハングリーなだけということです。
第1章(なぜビジョンが大切なのか)
・日本の多くの会社では、ビジョンに基づいて一生懸命にやろうとすると、むしろ「青臭いことを言うなよ」と煙たがられるのが常です。バランス感覚の悪さを指摘されちゃうことが多いんですね。(山口)
・いまうかがったお話のなかでとくに重要なのは、利休が図面で細かく指示していたというところですよね。自分でやりはしないけれど、そこまで見えている。やっぱり、口だけじゃダメなんだと思うんですよ。実際に手を動かすところまではできなくても、その直前のところまで降りて行けるかどうかが大事。(中川)
・ここまで緊密な関係性になるのはレアケースだとしても、何か価値のあるものを守ろうと思ったら、買い手側にもそれを応援する強い意識が求められるでしょう。いま日本は経済的にも厳しい状況なので、厳しい家計をやりくりしながらあえて高いものを買えとも言いにくいけれど、選挙で一票を投じるのと同じように、自分の購買行動によって世の中で何が残って何が消えていくのかが決まるという面があるのは間違いない。(山口)
・いまの世の中で何がいちばん希少かというと、衣食住ではなくて「生きがい」だと思うんですね。(山口)
・共感できるビジョンには求心力が働いちゃうので、経営資源が集まるんですよ。言葉を掲げるだけでゼロから経営資源を集めてしまうだけの力を持っているのが、ビジョンのすごいところです。企業が競争力を高める上で、これからはビジョンがもっとも重要になるでしょうね。いまいちばん希少な経営資源は、働くためのモチベーションですから。(山口)
第2章(今、ビジョンに求められること)
・それも含めて、柳宗悦さんの民藝運動の時代みたいな流れを感じて、それが嫌だったんですよ。民藝運動の時代は、柳さんが「これはいい物だ」と言えば売れるし、値段も釣り上がるといった雰囲気になっていました。そうやって人に選んでもらうことで価値が出るという現象がすごく嫌でしたね。(中川)
・エキスパートの目利きには、紙一重の面がある。…教祖様みたいに崇めている人はけっこういますよね。「柳宗悦がいいと言うもの以外は僕は好きじゃない」とか、ほとんどドグマみたいになってる。「あなた自身の美意識はあるんですか?」と問い詰めたくなりますけど。(山口)
第3章(ビジョンとは何か)
・ビジョンは最上位の概念だからこそ、そこを常に見定めることで目線が上がります。「視野は広く、視座は高く、視雨を点は遠く」と言いますが、日々の数字は足元の話だから、それだけ見ていると視野は狭く、視座は低く、視点は近くなってしまう。でもビジョンやミッションのことを考えると地平線に目が向くので、視野は広がり、視座は上がり、視点は遠くに置かれるようになりますね。だから、事あるごとに会社全体がそこに立ち返るのはすごく重要だと思います。(山口)
・そういう意味で、日本は西欧が経験したような近代化とは異なる流れのなかにあるのだと思います。みんなで合意したテキストに則って考え、行動するのが近代社会のあるべき姿なのに、テキストは建前として額縁に入れて飾るだけで、現実の意思決定はそのとき権力や影響力を握っている人たちのローカルな事情に合わせて恣意的に行われてしまう。ある意味で、江戸時代から変わってないと思います。(山口)
・ですから「師を見るな」という教えには、目の前の師匠という存在をディスカウントする働きがあるわけです。会社のビジョンやミッションといったテキストも同じ。本来は、たとえ現場の上司や同僚がローカルな事情を優先することを求めても、ビジョンがあればそこから距離を置くことができるはずなんです。でも、そういう手法は日本では難しい、やはり、そこにはある種の宗教的な側面があると思うんですよ。(山口)
・正直、そこまで争うのは痛ましいとさえ思いますね。これから先、70年代の左翼団体における内ゲバみたいになる可能性もありますよ。「ビジョン派」と「パーパス派」が無駄に殴り合いをしているあいだに、そんな経営観とはまったく無縁に目先の利益だけを追求する「金満ボロ儲け派」みたいな連中がマーケットを荒らして通り過ぎていく。僕も、そういう言葉の違いは単に流派の違いだけだと思っています。(山口)
・僕は周さんの本でその話を読んで、会社は「ゴーイング・コンサーン」ではなく「ミッション・コンプリート」でいいと思ったんです。ミッションやビジョンを達成したら、もうそれで終わり。だからパナソニックも、いったん「ミッション・コンプリート」を宣言したらいいと思うんですけどね。(中川)
・ちなみに伊勢神宮の遷宮は20年に一度なんですよね。戦後にGHQが「そんな短期間ではもったいないから30年か40年おきにしろ」と要求したらしいんですが、絶対に20年じゃなきゃダメだと伊勢神宮が断った。なぜかというと、若手、現役バリバリ、ベテランの親方という3世代をぐるぐる回すためには、20年に一度やらないといけないからという話です。(中川)
・まずは的確な指示を出したり、自分で率先してやれるだけの能力があり、部下とのインタラクションもちゃんと取れるようになった上で、ビジョン型になる。それが業績を上げるリーダーに共通する発展段階のようです。いきなりビジョン型の手法に飛びついてすぐに結果を出せるものではない。部下が「もしあの人が現場に降りてきたら、自分たちよりもパフォーマンスが上がるんだよね」というある種の権威というか、ベーシックな信用があって初めて、有効なビジョンを打ち出せるのでしょう。(山口)
第4章(ビジョンを定める、ビジョンを磨く)
・そもそもの話をすると、教育の中身は、何を社会的な価値とするかで決まります。社会的な価値を実現する人間にはそれ相応の能力が必要ですから、価値が決まると優秀さの定義が決まる。すると、その優秀さを持つ人間をどう育てるかということで、教育内容が決まってくるわけです。明治から昭和までの日本では、海外の先行者にキャッチアップすることが大きな社会的価値でしたから、それができる能力を持つ優秀な人材を育てることが教育の目的になっていました。自分たちでゼロから「こうなりたい」というビジョンを構想する能力は、その目的に対して過剰なものだったわけです。(山口)
・喜怒哀楽は、ビジョンを考えるときにいちばん大事なツボだと思います。ビジョンは理知に訴えるのではなく、情に訴えかけないとダメなので。ビジョンをつくるときに「正しいこと」を追求する人が多いんですけど、それは求められてない。多くの人の共感を得られるような喚起力が重要なんですよ。(中川)
・いわゆるソマティック・マーカー(身体信号)仮設によると、人間の意思決定においては、情動的な身体反応が重要な信号を提供するそうです。だとすれば、まず自分の体温が上がらないと、たぶん他人の体温は上がらないでしょう。ビジョンを語っているときに、自分の体温がググっと上がる感覚があるかないか。それに対するセンシビリティはとても大事だと思います。(山口)
・それに、1億人の国民が「こっちだ」と思えるビジョンを示そうと思ったら、10文字以上ではわかってもらえない、とも言われていました。実際、「日本列島改造」「所得倍増」といった、歴史に残る政治キャンペーンはだいたい6文字以下。(山口)
・日本企業の場合、そのためには、やはり若いうちからビジョンづくりを意識しておくべきでしょう。前にもお話ししたとおり、上から与えられる問題を解決するだけで評価される立場で30年も過ごしていたら、そんな物語をつくり出す能力は身につきません。でも逆に言うと、早い段階から仕事や教育を通じて鍛えていれば、ビジョンをつくる能力は持てるようになります。ミドルクラスのマネージャーの段階から、「このチームとしてやりたいことは何なのか」を自分の言葉で語る習慣をつけておけば、リーダーとして動かす組織の規模がどんどん大きくなっても、そこでビジョンを描くことができる。…最初に考えるのは、組織を動かす以前に、自分自身を動かすためのビジョンでもいいでしょう。(山口)
・自分はいったい何をしたいのか。自分というフォロワーをリードできるようなものを自分でつくればいいんですよ。ビジョンづくりの第一歩は、やはり自分が何に熱くなるのかを確認する作業なのかもしれません。(山口)
第5章(日本の工芸を元気にする!)
・自分で選ぶことの重要性はほかの人も言うかもしれないけど、選択肢を知らないと納得できないというのは、なかなか気づきませんよね。そして納得できればそれは本音となる。(山口)
第6章(ビジョンとともに働くということ)
・ですから、外部の経済予測に適応しようとする人が旅行者だとしたら、自分のやりたいことを追求するビジョナリーな人間は探検者のようなものだと言えるかもしれません。組織であれ個人であれ、自分のビジョンを持つというのは、進んで行く方向を示すコンパスを持つのと同じだと思います。(山口)
・これは、個人の生き方を考えるときでも同じことだと思います。20年から30年かけて、あるいは生涯をかけても「こっちの方向に進みたい」という目標を持っている人は、結果的に費用対効果が高くなるでしょう。だって、何があっても必ずそっちに進むわけですからね。立ち止まらないかぎり、多少たりとも目標に近づくことができるわけです。行く先々で地図を手に入れて「どこに行くべきか」と、いちいち計画を立てるのは効率が良くない。(山口)
・ですから、会社のビジョンを個人がつくるわけにはいきませんが、転職するなら、なるべく明確なビジョンを持つ会社を選ぶということは考えていい。あるいは、自分自身の個人的なビジョンを明確にすることで自ら身を守ることもできると思いますよ。(山口)
・たぶん、その悩ましさは年代によっても違うのだろうと思います。以前、リクルートワークス研究所の大久保幸夫さんが「キャリアは前半と後半でまったく種目が変わる。前半は激流下り、後半は山登り」とおっしゃっていて、とても良い表現だと思ったんですよ。前半は自分でコントロールできない激流下りみたいな日々だから、岩にぶつかったり転覆したりしないようにしながら、とにかく生き残らなくちゃいけない。それをやっているうちに、いろんなスキルが身についたり、仲間ができたり、信用ができたりしていくわけです。(山口)
・ビジョンはエンジニアリングなので、つくり方にコツがあるんですよね。天才が突如「これだ!」とひらめいて何か新しい絵が見えるというものではありません。ある種のクラフトなので、やはり若い人たちもつくったほうがいい。少なくとも、組織内でチームリーダークラスになったときには、絶対につくったほうがいいと僕は思います。というのも、小さい器をつくれない人は大きな器をつくれないんですよ。経営者や本部長クラスになったときに初めて組織全体のビジョンをつくろうとしても、多くの場合は手遅れ。弦楽四重奏曲を書けない人にオーケストラの曲は書けないのと同じようなことです。(山口)
・そういう意味でも、中間管理職になったときには、そのチームが何を成し遂げようとしているのかを自分の言葉で語ることが大切です。それも、200字も300字も使って長々と語るのではなく、せいぜい10文字前後で端的に語る。ミドルクラスになったときにそれができるようにするためにも、若いときから自分の個人的なビジョンをつくる習慣をつけておくべきだと思います。その積み重ねがなければ、言葉は磨かれません。(山口)
・そのためにも、やはり常に自分が「何に熱くなる人間なのか」を自問自答することを勧めたいですね。それが見えてくると、自分のモチベーションをググっと高めるビジョンのキーワードがつかめるようになると思います。(中川)
コメント
対談本ということもあり、とても読みやすい。しかしながら、そのなかでも学ぶことが多い1冊だった。
なぜ今ビジョンをもつことが仕事やビジネス、はたまた個人にとって重要になってくるのかを、中川政七商店のものや両著者の経験した具体的な事例をもとに解説されている。
「はじめに」が秀逸
全体を通して学ぶことが多い1冊ではあるが、特に「はじめに」において山口周氏が書いている最初の数ページだけでも一読の価値がある。
なぜこの時代状況においてビジョンが必要になるのかを、問題の希少化や意味付けが重視される社会などと絡めながら筋道立ててわかりやすく解説されている。
「はじめに」を読むだけで全体の本の要約に近いものを得られるという意味では、書籍としても出来が良い気がする。
ビジョンは青臭い?
本書のなかで日本の会社ではビジョンを持ちそれを堅持しようとすると青臭いと煙たがられ、うまくダブルスタンダードを使いこなす社員が重宝されるという話が出てくる。
これはまさしく自分の会社で生じている事態だと膝を打ってしまった。
「ああいう風に言われているけど建前だけだよ」「形式的なお題目だから気にしなくていい」などの文言を割と言われる機会が多いのだが、これなどまさしくビジョンを掲げ一生懸命することへの蔑視に近い。
この点についてはいくら個人が頑張ってビジョンに従って行動しようとしても、周りの人がダブルスタンダードであったら、どうしようもない。
組織の風土を抜本的に変えるしかないように感じるのだが、トップダウン型でこれは解決できるのだろうか。上からの「ダブルスタンダードをやめよ」という指示自体も「お題目」として処理されてしまいそうな気もする。
ここは自分の所属する現組織に引き寄せて考えると、なかなか難しそう。
早いタイミングでビジョンをつくる訓練をする
上述のとおり本書のなかではビジョンを持つことの有用性・有効性が説明されているのだが、またその身につけ方についても触れられている。
そのなかでも、ビジョン型の手法一辺倒でもダメで、まずは若手のうちは実際に手を動かして業務を実施するスキルを向上させることが重要になる、というのは見逃せないところ。
業務を実施し、実際に成果を出してナンボというところは通常考えられる「仕事のできる人の像」と変わらない。しかしながら、その地点まで到達したのであれば、そういった1人のプレーヤーとして業務を実施して成果をあげることだけに注力するのではなく、ある程度成果をあげるようになったタイミングでビジョン型にもシフトしていく点に違いがある。
本書ではチームリーダーになったタイミングからビジョンをつくる練習をするように推奨されている。
具体的な手を動かす仕事をこなすのは当然として、それに加えてビジョンもつくりだす。
こう書いていると結局はスーパーマン的な何でもできる人間にならないとダメなふうにも捉えられる。まあでも最終的に上に立つ人はそういった超人的な人物であるというのは当たり前かもしれない・・・。
仕事を実施する上でもビジョンは重要であるし、また個人にとってもビジョンが重要になってくると本書では述べられている。
個人でもビジョンを有していれば、判断する際に大きく方向性を誤ることはなくなる、というのはその通りであり、特にチームリーダーでもなんでもない自分としては、まずはこの自分自身のビジョン作成から進めていきたいところ。
まとめ
自分が読んだなかだと『ビジョナリーカンパニーZERO』がビジョンに関する書籍であり、様々な事例が紹介されていてとても参考になった。
本書は『ビジョナリーカンパニーZERO』のさらに前段階である、そもそもビジョンを持つことがより重要になってきた背景から説明されているので一層腹落ちしやすい。
また日本の文化的な背景などからも説明されていることも読者にとってはよりわかりやすく感じられる。
ビジョンを持つことの意味や有用性について知りたい人には当然オススメできるし、また現代社会における働くことの意義など、少し抽象度の高めの問題意識を持っている人にもヒントになることが多いはず。
一言学び
ビジョンづくりの第一歩は、やはり自分が何に熱くなるのかを確認する作業。
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